ジャンヌ・ダルクが生まれた家、生家は何処にあるのでしょうか。
彼女はフランスのバル公領の村、ドンレミで生まれました。
当時のドンレミ村はフランス領に属していましたが、たびたびイギリスの攻撃を受け、姉をその襲撃で亡くしています。
そんな彼女の生家はどこにあり、どうなっているのでしょうか。
ここではジャンヌ・ダルクの生家について解説します。
ドンレミ村について
ジャンヌ・ダルクはフランスを救ったオルレアンの乙女(ラ・ピュセル・ドルレアン)と呼ばれているため、彼女が生まれた村ドンレミはその名前にちなみ、ドンレミ・ラ・ピュセルと呼ばれています。
彼女は農夫の娘として生まれました。
決して軍人の家庭にうまれたわけでも、豊かな家庭に生まれたわけでもありません。
彼女は一生文字を読めず、書くことができない文盲だったと言われています。
そのため、彼女が異端審問で罪状に署名させられた時は名前が書けず、十字架を書いたと言われているのです。
生家はどうなっているのか
彼女の生家は一部が現存しており、その隣にはジャンヌ・ダルクの博物館があります。
生家は見学できるようになっています。
有名な人の生家はこのように博物館などになっていることが多いですね。
今も残ってる部屋には、ジャンヌ・ダルクの姉妹の部屋、兄弟たちの部屋、そして中庭には初めてジャンヌが神の啓示を聞いたと言われる場所もあります。
最初に聞いた声は「立てジャンヌ!フランスを救いなさい!」であり、それは1425年7月の事だったと言われています。
ジャンヌが通っていた教会
聖歌の近くには、ジャンヌ・ダルクが実際に通っていたという教会、サン・レミ教会もあります。
ジャンヌ・ダルクは1412年に洗礼を受けたとされており、彼女に洗礼を授けた洗礼盤も残されています。
また、生家から1キロほど離れた場所にはドンレミ聖堂があり、この乙女の泉、ルルドの泉と呼ばれる場所でジャンヌはよく遊んでいたと言われているのです。
そのため、このドンレミ聖堂の前にはお告げを聞くジャンヌの銅像が建てられています。
まとめ
いかがでしょうか。
ジャンヌ・ダルクが育った街、ドンレミには彼女が生きていた明石があちらこちらに残されています。
19歳で火刑に処されるという壮絶な最期を迎えた少女は、フランスの国民的ヒロインとして今もフランスの人々に愛されているのです。
そしてそのフランスは、彼女によって救われたと言っても過言ではないでしょう。