ジャンヌ・ダルクがかけられた裁判とはどのようなものだったのか

ジャンヌ・ダルクがかけられた裁判とは一体どのようなものだったのでしょうか。

ジャンヌ・ダルクはイングランドの捕虜として捕まりましたが、彼女の裁判はかなり不公平な形で進められました。

また、字が読めない文盲のジャンヌ・ダルクを騙す形での裁判でもあり、彼女が処刑された25年後には復権裁判によって彼女の無実が明らかにされています。

彼女の裁判はどのようなものだったのでしょうか。

ここではジャンヌ・ダルクが受けた裁判について解説します。

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異端審問

彼女の裁判の背景には政治的な思惑があると考えられ、彼女は異端審問に欠けられました。

ジャンヌの裁判に対する司法権を有するわけではない司教コーションが審理を行い、そもそも彼女を異端審問にかける物的証拠も何もないままに異端審問が始まったのです。

教会法で認められているように弁護士を付けてもらうこともありませんでした。

教会の考えでは、神の恩寵は人間が理解できるものではないとされていましたが、その一方で「神の恩寵を受けていたか」などという罠とも言えるような質問がなされたのです。

書類の改ざん

裁判の記録はジャンヌ・ダルクに不利になるように改ざんされていました。

12の罪が明らかとされましたが、その署名させられた書類は死刑判決にも等しい書類であり、彼女はその書類が改ざんされていることに気付かなかったのです。

また、彼女は字が書けないということで、書名の際には十字架を書いたとも言われています。

処刑

悔い改めたことにより、彼女は男装を辞めることを誓わされました。

彼女は男性ばかりの兵隊の中で性的な被害に遭わないよう男装をしており、兵士たちは確かに彼女に性的な興味を抱くことはなかったと言われています。

ここで彼女は男装をやめ、女装を始めました。

しかし、彼女を処刑に導きたい教会側の罠により大きなイギリス人男性が独房に押し入って彼女に乱暴を働こうとし、その間に彼女の女装の服装を盗んだのです。

そのため彼女は身を守るために残されていた男装をしました。

それによって異端の罪を犯したとして、ジャンヌ・ダルクは19歳の若さで処刑されたのです。

まとめ

いかがでしょうか。

ジャンヌ・ダルクが受けた裁判は最後の最後まで馬鹿げた裁判であったと言われています。

教会の観点から彼女が男装をしていた件に関しては問題があるとされましたが、それでも彼女の有罪判決は覆されました。

1456年7月7日、ジャンヌの無罪が宣言されたのです。

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