ジャンヌ・ダルクが人生をかけて残した功績とは一体何なのでしょうか。
彼女は一般的な農夫の娘であり、決して軍人の娘であったわけでも、王家に関係した家庭の娘であったわけでもありません。
そんな彼女が従軍し、オルレアンの戦いを勝利に導いてフランスを救ったのです。
そんなジャンヌ・ダルクの功績とは一体何なのでしょうか。
ここでは彼女の人生における功績について解説します。
神の啓示を受けて従軍
異端審問を受けた際、彼女は12歳の時に神の啓示を受けたと述べています。
大天使ミカエル、アレクサンドリアのカタリナ、アンティオキアのマルガリータの姿を見て、彼らから従軍し、王太子をランスで戴冠させなさいと声を聞いたのです。
そんな彼女は数年悩みましたが、その声を聴き続け、親戚を頼って当地の守備隊長に会いに行きました。
周りから嘲笑の目で見られても決心は揺るぐことがなく、王太子にも自分を信じさせたのです。
オルレアンの戦いで勝利
ジャンヌ・ダルクが従軍するまで、オルレアンの戦いは負け続けでした。
また、いきなり10代の娘が現れても兵士が信用するはずもなかったのです。
しかし、彼女は神の奇跡を連想させるような戦いぶりを以って、オルレアンの戦いを勝利に導きました。
首に矢の傷を受けてもすぐに戦いに戻り、指揮を執っている姿を見て、兵士たちも彼女を英雄だと認めるようになりました。
このオルレアンの戦いに勝利したことは彼女の一生における最も大きな功績であると言えるでしょう。
王太子の戴冠
さらにジャンヌ・ダルクはシャルル7世の戴冠にも貢献しました。
オルレアンの戦いにフランスが勝利したことにより、イングランド軍は撤退したのです。
そこで1428年6月、パテーの戦いにおいてフランス軍はさらに勝利を収め、7月17日にシャルル7世はランスに向かい、ノートルダム大聖堂においてフランス王として戴冠式を行いました。
このシャルル7世の戴冠に貢献したこともジャンヌ・ダルクの人生の中の功績の一つです。
このシャルル7世はジャンヌが捕虜として捕まった時に助けようとしなかったため、のちに避難されることになります。
まとめ
いかがでしょうか。
彼女は19歳で異端とされ、火刑に処されました。
その年齢の少女が異端審問にかけられ、堂々と自分の言動を証言したなんて、驚きですよね。
彼女が処刑されて25年後、彼女の復権裁判が行われました。
彼女は無実であるという事が明らかとなり、列聖され、今は聖女として愛されているのです。