ジャンヌ・ダルクと教会の関係とは

ジャンヌ・ダルクと教会の関係とは一体どのようなものだったのでしょうか。

彼女はもともとは農家の娘としてフランス、ロレーヌ地方のドンレミ村で生まれました。

普通の娘で読み書きさえできなかった彼女が、神の啓示を受けて従軍し、フランスを救ったのです。

最終的に彼女は捕虜となり、宗教裁判にかけられてカトリック教会によって殺害されました。

それならば、彼女と教会はどのような関係だったのでしょうか。

ここではその関係について解説します。

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信心深い娘

ジャンヌ・ダルクはもともととても信心深かったと言われています。

そんな彼女は異端審問の場において12歳のときに神の声を聞いたと証言しており、屋外を歩いていたジャンヌ・ダルクは大天使ミカエル、アレクサンドリアのカタリナ、アンティオキアのマルガリータの姿を見たと述べました。

彼らはジャンヌ・ダルクに対し、イングランドを倒し、王太子をランスに連れて行ってフランス国王として戴冠させなさいという声を聞いたと述べています。

その姿はとても美しく、3人の姿が消えた後は泣き崩れたと語りました。

この後、16歳のときに親類に頼み込み、守備隊隊長の下に連れて行ってもらいました。そこで王太子を見抜き、従軍することとなったのです。

ジャンヌ・ダルクの働き

ジャンヌ・ダルクが軍隊に加わった後、男性陣は良い顔をしませんでした。

いきなり女性の命令に従えと言われても、良い気持ちがしなくても無理はありません。

しかし、彼女が加わったことによってオルレアンの戦いは風向きが大きく変わりました。

1人の大尉の手引きでオルレアンの市街地を抜け出し、要塞を攻略したことにより、戦いにも兵士たちの間にも士気が戻ったのです。

首に傷を負ったにもかかわらず、すぐに戦いに復帰して指揮をとっていたため、最初は彼女に批判的だった兵士たちも彼女のことを英雄だと認識するようになりました。

異端裁判と処刑

まるで奇跡を起こしながら戦いに勝利していたジャンヌは、1930年5月23日、補助となってしまったのです。

政治的思惑を背景としていたため異端審問にかけられ、厳しく糾弾されました。

審理を行った司教コーションは、教会法に従う場合、裁判への司法権を有していなかったのです。

また、教会の法律では弁護士をつける権利が認められていましたが、彼女には弁護士がつけられませんでした。

ジャンヌ・ダルクを処刑するために裁判記録は改ざんされているとも言われており、ジャンヌ・ダルクには12の罪が突きつけられました。

署名するように言われた書類は死刑宣告にも相当するものでしたが、彼女は文盲だったためにそれがわからなかったのです。

最終的に彼女は教会に騙される形で死刑判決を受けたと言えるでしょう。

まとめ

いかがでしょうか。

神の声を聞いて神のために戦ったジャンヌ・ダルクは教会によって死刑となりました。

処刑される時、死に絶えるまで見られるように目の前に十字架が欲しいと述べたことにより、彼女の死刑執行人たちは自分たちは無実の女性を殺害しようとしているのではないかと恐怖を感じたと言われています。

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