ジャンヌ・ダルクの戦友の中にジルドレイという人物がいます。
このジルドレイは、ジャンヌ・ダルクとどのような関係だったのでしょうか。
ジルドレイは百年戦争のフランスの貴族、軍人でした。
本名はジル・ド・モンモランシ・ラヴァルと言います。
このジルドレイという人物はどのような活躍をしたのでしょうか。
ここではジャンヌ・ダルクとジルドレイの関係について解説します。
ジルドレイについて
ジルドレイは1405年ごろ、シャントセで生まれました。
父はブルターニュ地方の貴族であり、アンジュ―領主に使えるという由緒正しい家柄の人物でした。
母もブルターニュ地方やアンジュ―領主との関係があり、ジルドレイはその間に生まれたわけですから、両方の領地を受け継ぐことになったのです。
しかし11歳で母を亡くし、父も狩りの最中に命を落としたことにより、悪行を重ねていた祖父に引き取られたのです。
それによって父の教育方針は無視され、放任されました。
軍人としての活躍
1429年、オルレアンのたたかいでジャンヌ・ダルクに協力し、ラ・イルらと一緒にパテーの戦いでも活躍をしました。
救国の英雄とも呼ばれ、フランス軍を勝利に導いているのです。
最初はラ・トレモイユにジャンヌ・ダルクの監視役として命じられましたが、徐々にジャンヌの活躍を認めるようになり、協力するようになったとされています。
シャルル7世がランス聖堂で戴冠する時には元帥として参列しましたが、パリ包囲戦を最後にジャンヌ・ダルクには会っていません。
荒れていく人生
その後、ジルドレイは軍人としての活躍はしていません。
取れも胃兪の命令で土地を奪い、イングランドに捕虜として捕まったジャンヌ・ダルクを助けようと試みたりしましたが、うまくいきませんでした。
残された財産を使い果たし、詐欺まがいのこともしています。
幼い少年たちを何百人と拉致し、虐殺したとも言われています。
浪費生活をした後は借金を重ね。1440年7月には告発状が出され、9月には逮捕されました。
公開裁判で絞首刑が決まり、処刑されたのです。
まとめ
いかがでしょうか。
ジャンヌ・ダルクとジルドレイはともにオルレアンの戦いとパテーの戦いで活躍した占有という関係がありました。
また、二人とも処刑されたという意味でも関係がありますね。
パリ包囲戦以降はジャンヌ・ダルクが戦友たちと会うことはありませんでしたが、彼女は彼らをとても心強く思い、信頼していたと言われています。
そのような人びとが処刑されたとは、非常に残念な歴史の一部と言えるでしょう。