ジャンヌ・ダルクと十字軍のかかわりとは一体どのようなものなのでしょうか。
ジャンヌ・ダルクはフランスのロレーヌ地方、ドンレミ村で生まれました。
読み書きのできない彼女は最終的に騙される形で有罪判決を受け、処刑されました。
そんな彼女と十字軍は、どうかかわってくるのでしょうか。
ここではジャンヌ・ダルクと十字軍について解説します。
十字軍について
十字軍とは一般的に、中世ヨーロッパにおいてカトリック教会の国々が聖地であるエルサレムをイスラム教国家から取り返すために派遣した遠征軍を指します。
そんな十字軍は第9回まで存在します。
しかし十字軍とはそれだけではなく、実は異端への討伐軍のことも指すのです。
だからこそ、異端を罰するための審問なども十字軍という日夕を用いて表現することもあるのです。
つまり、ジャンヌ・ダルクを異端審問にかけたカトリック教会も言い換えれば十字軍のようなものだったと言えるでしょう。
ジャンヌ・ダルクの裁判
そんなジャンヌ・ダルクの裁判は非常に不公平であり、ジャンヌの人権は無視されていたも同然でした。
弁護士を付けてもらうこともできず、10代という若さのままで異端審問に毅然として立ち向かったのです。
12の罪が突き付けられ、彼女はその書類に署名するように言われました。
しかし読み書きができない彼女はその書類が改ざんされたものであり、実は死刑判決にも等しい物であったということに気付かなかったのです。
彼女は自分の名前を書くことができず、十字架を書いたと言われています。
ジャンヌ・ダルクの処刑と復権裁判
そんな彼女は男装をしないと誓わされ、女装を始めました。
しかし彼女を処刑に追い込みたいと思う教会側の思惑により、男装をするほかなかったのです。
体格の大きなイギリス人男性に乱暴されそうになり、同時に女性のドレスを盗まれました。
そのため男装をするほかなかったのです。
それがきっかけとなり、彼女は異端とされて19歳という若さで処刑されました。
しかし25年後に彼女の復権裁判が行われ、ジャンヌ・ダルクの無実が宣言されました。
まとめ
いかがでしょうか。
ジャンヌ・ダルクはもともと異端審問にかけられる必要さえなかったのです。
異端の法的証拠も物的証拠もないまま、彼女は不公平な裁判にかけられました。
教会の牢に入れてもらい、女性の看守がつくはずでしたが、それも守られなかったのです。
そんな彼女は列聖され、聖女としてフランス国民に愛されています。