ジャンヌ・ダルクはどのように天才だったのでしょうか。
ジャンヌ・ダルクはフランスを救った乙女として知られていますが、彼女は決して裕福な家庭で育ったわけでもありませんし、軍人の娘として育ち、特別な訓練を受けていたわけではありません。
しかし彼女は従軍し、オルレアンの乙女として尊敬されるようになったのです。
最終的にはイギリスの捕虜となり、異端審問にかけられて戻り異端として処刑されました。
そんな彼女はどのように天才だったのでしょう。
ここではジャンヌ・ダルクが天才だった点について解説します。
神の啓示に忠実
ジャンヌ・ダルクは神の啓示に非常に忠実でした。
つまり、彼女は自分が信じた者を最後まで信じる、信念に従って行動する、という天才だったと言えます。
異端審問の時の証言によれば、彼女は12歳の時に神の啓示を受けました。
彼女の目の前に姿を現した天使たちは「立て、ジャンヌよ!フランスを救いなさい!」と述べたと言われています。
その声に従い、彼女はフランスを救う決意をしたのです。
司令官として指揮
彼女が従軍した時、最初は周りから敬遠されました。
無理もありませんね、いきなり女性が指揮官として現れたのですから。
しかし、オルレアンの戦いにおいて矢が刺さっても指揮官として戦い、その戦いを短期間で勝利に導いてしまったジャンヌ・ダルクは周りからも英雄として尊敬されるようになったのです。
最終的に彼女はイギリス軍によって馬から引きずり降ろされ、捕虜として捕まってしまいます。
しかし彼女は最後まで凛とした姿で審問を受け、処刑されていきました。
彼女は頭の周りが早く、非常に頭の良い受け答えをしたと言われています。
人々の心を惹きつける
そんな彼女は19歳で処刑されましたが、そんな彼女は今でもフランス人のみならず、世界中の人から愛されています。
彼女の銅像は彼女が勝利を収めたオルレアンやフランスの観光地でもあるルーブル美術館の前にも設置されており、さらにフランス革命の舞台となったベルサイユ宮殿にも設置されています。
また、4月下旬から5月上旬にかけてジャンヌ・ダルク祭りが行われ、彼女の功績が称えられているのです。
まとめ
いかがでしょうか。
ジャンヌ・ダルクは学があったわけではありませんから、決して学問での天才であったわけではありません。
しかし彼女は魅力があり、フランスを救うという才能に恵まれていました。
そして彼女が処刑されて600年ほど経った今でも多くの人に愛されているのです。